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五十音格言

 ア行〜カ行

「あ」げあしとりの……

「揚げ足とり」の「揚」の字には一生なじめない

 「揚げ足とり」の語源は、すもう等で地面を離れた相手の足をとる技が由来とされる。そこまではとても納得がいっても、「揚」ってどうなんだ。「揚げ」というとどうしても油物のおいしいものというイメージばかりが先行する。「足を揚げる」と書くともう鶏の唐揚げのことしか思い浮かばない。こうした人間の心の弱さをあらわすことわざ。

「い」んかんを……

鑑をまっすぐ押せる奴はデキるビジネスマン

 印鑑を正確に上下正しく押せたためしがない。印鑑とはいくら注意しても必ず微妙に曲がって押されてしまうものだ。または、全体の1/3ぐらいが妙に薄くなるように。転じて、自然に印鑑をきれいに押せる者はなにかしら凄腕であるという思い込みを示す格言である。

「う」つわのだいしょうを……

の大小を自分と海で比べるな

 この海と比べたら自分なんて小っちぇえなあ。よく言う話だが、そもそも海と人間を比べる段階で比較対象がおかしくはないか。かたや無生物、かたや生物の一個体である。前提として成り立っていない。そんな条件下の比較で、なにかをわかった気になることこそが間違いである。そんな屁理屈をうたった格言。

「え」すかえむかだけで……

かMかだけで人を分けるのは無理がある

 どちらかといえばSか、あるいはどちらかといえばMか。さらりと聞かれることのある話題だが、さらりと答えるのにはためらいがある。確固たる嗜好を持っている人もいるだろうが、「どちらかといえばと言われても」レベルのどっちつかずの人だっているのだ。というかこの選択はむしろどっちも選びたくない選択肢とはいえまいか。どっちに答えても妙なレッテルが貼られるばかりで得るものがないのではないか。そんな松本人志的な文化人類学に一石を投じることば。

「お」つりをすくなく……

釣りを少なく渡されたら、募金したと思って泣き寝入るべし

 これ、足りないと思うんですけど。その一言を言うにはもう遅い。もうレジから一歩離れてしまったしレシートはもらっていなかったしレジにはすでに他の客が立っているのだ。手にした少ないお釣りをそっと財布に入れ、静かにそこを去ろう。そんな人生に対する諦観をあらわした格言。

「か」ずだんすの……

ズダンスのマネを平気でしていたあの頃の自分を忘れるな

 栄枯盛衰、諸行無常。何事にも始まりと終わりはある。そんな話はともかくとして、かつての自分を客観視してなおかつ誇れるような人間たれ。そんないましめを説くことば。「カズダンス」の部分はジェネレーションに応じて適当に替えても良い(例:「テツandトモ」など)。

「き」たいはずれのぷれぜんとを……

待外れのプレゼントをもらっても、オスカーを逃した俳優の作り笑顔を見習え

 オスカーを逃したと思えば、プレゼントが期待外れだったことなど何ほどのことがあるだろうか。ノミネートされた5人の俳優たち。カメラが彼らの顔を順に追う中、プレゼンターが封を切り受賞者を発表する。「受賞者は、××です!」 その瞬間の他の4人の顔こそが見習うべき姿である。そんな人生のきびしさと心構えを説いたことば。

「く」じびきになったじてんで……

ジ引きになった時点で敗北を覚悟せよ

 はずれを引く確率が何分の1だろうが、はずれを引くのが何人のうち1人だけだろうが、はずれを引くのはおおむね自分である。これはクジ引きにかける情熱が高まれば高まるほど、より強まる。そんな世の無常とネガティブシンキングを示す格言。

「け」んかじまんは……

ンカ自慢は全員に酒が十分回ったことを確認してから

 まず第一に、しらふの相手にはケンカ自慢が嘘八百ということがまるわかりである。

 第二に、ケンカ自慢をしたいというテンションになった時点で本人は泥酔しているはずだが、そのそばにしらふの人間がいたとしたらその時点で問題である。

 そして最後に、しらふの人間は誰も他人のケンカ自慢など聞きたくはない。

 結論としてケンカ自慢はそもそもしないでおいた方が無難、という先人の智慧をあらわすことば。

「こ」ーじーとみたのほんみょうが……

ージー冨田の本名が冨田弘司だからと言って、イジリー岡田にもそれを求めるのはお門違い

 コージー冨田が「とみたこうじ」、ならばイジリー岡田は「おかだいじり」か? 無論そんなことはあるまい。人は芸人に多くを求めがちだが、なにごとにも限度はある。そういう問題以前に、まず常識の範疇でものを考えよ。というわりと当然の心構えをあらわすことば。

「あ」したもわーぷろを……

日もワープロを使う父

 国内主要メーカーがワープロ専用機から撤退してすでに7年。いまや世間はWindowsでありWordである。
 それでも父は、祖父は、古いワープロを使う。何がWindowsか。何がWordか。文豪の、OASYSの、Rupoの、専用機だからこその使いやすさ。そして覚えなければいけないことの少なさ。今さらワープロ専用機を手放すなどもってのほかなのだ。その頑固な姿勢にはもはや一途な情熱すらも感じられる。

 そうは言ってもワープロ専用機から撤退して7年でありいいかげんハードの寿命も近い。父のワープロが壊れるのが先か、それとも父の気が変わるのが先か。チキンレースのゴールは近付いているのだ。
 人の頑迷さをあらわすとともに、世の諸行無常を説くことば。

「い」のくまさんや……

熊さんや美作さんはいい迷惑を被っている

 毎日届く迷惑メール。ことによると同じ内容で1日に何通も届く。その中にはどういうつもりなのか、差出人や書き出しが個人名で書かれている迷惑メールというものがある。
 「猪熊です」「美作でございます」そんな件名の迷惑メールを受け取ったことのある者の数は少なくない。

 毎日届く「猪熊です」「美作でございます」。それをいちいちゴミ箱に捨てるとき、人は静かな怒りをおぼえるのだ。何が猪熊だ。何が美作だ。迷惑メール業者め。しかし、ここで気の毒なのは全国の罪なき猪熊さんであり美作さんである。彼らは何もしていないのに、なまじ迷惑メールが特定の名字を、それも何ヶ月にもわたって使い続けるおかげで全国のPCユーザーからイラッとこられているのだ。
 迷惑メールを許してはいけない。しかし無辜の猪熊さんや美作さんをまきぞえにしてはいけない。あと澄江さんとかも。そんな義を説くおしえ。

「う」んがあればたいていの……

があればたいていの事はなんとかなるが、その運がない

 世の中そうしたものである。

「え」んけんと……

ンケンとエノケンの違いに気を付けよ

 エンケンといえば遠藤賢司、日本のロック史における重要人物であり、今なお精力的に活動を続けるミュージシャンである。
 かたやエノケンといえば榎本健一、昭和の喜劇王として今なお語り継がれる名コメディアンである。
 一文字違いどころか点のあるなしだけで日本のトップスターの、しかし両極端な2者に言葉の針はふれる。点ひとつおろそかにしてはならない。遠藤賢司が昭和の喜劇王になっては色々問題であろう。

 ついでに言えば線を一本足すだけで巨乳漫画『エイケン』になってしまう。色々問題である。
 点ひとつといえどおろそかにしてはならないという、文字の大切さをおしえることば。

「お」かさーふぁーを……

サーファーを「りくサーファー」と読む誘惑

 陸サーファーとは俗に、サーフィンをせずに格好だけサーファー風を気取るやからを揶揄まじりによぶことばであるが、それはこのさいどうでもいい。問題は陸サーファーの字が「おかサーファー」というよりも「りくサーファー」と読みやすいというその点である。
 陸と書いたとき一般的な読みは「りく」であるし、海の反対語としても一般的なのは「おか」より「りく」であろう。それでも「おかサーファー」という言葉は頑としてそこにあり続けるのである。
 安易に「りくサーファー」と読む誘惑に屈してはならない。軽佻浮薄に流されず、言葉が本来もつ重みを考えなければならないというおしえ。たとえその言葉が「陸サーファー」であったとしても。

「か」いぱんはたとえ……

パンはたとえ真水のプールでも海パン

 海水パンツ、あるいは略して海パン。
 ここには重大な矛盾がある。プール授業で男子が履くそれは、プールが真水であるにもかかわらず海水パンツと呼ばれている。
 しかるに正しく「淡水パンツ」と呼べば略して「淡パン」になり発音が「短パン」っぽくなる。「明日はプール授業なのでタンパンを持ってくるように」の結果、短パンでプール授業を受ける男子が現れては一部の好事家を喜ばせるだけであろう。
 そこに矛盾があろうと、ときに人は「海パン」とあえて呼ばねばならない時もある。必要悪を説いたことば。

「き」らこうずけのすけ……

良上野介は「ずけのすけ」という部分が読みにくい

 「忠臣蔵」の悪役としてよく知られる吉良上野介(きら・こうずけのすけ)の「上野介」の部分の読みづらさといったらどうだ。
 「す(゛)け」が重複している。ずけのすけのすけ、と書いてもあやまりでないような気さえする。だいたい「上野」が「こうずけ」で「介」が「のすけ」というわかりづらさもどうか。直感的に読める部分がなにひとつない。さすが天下の名悪役は名前からしてふるっているのだ。

 ちなみに誤解されることもあるが、「上野介」はそもそも位であり名前ではない。本名は吉良義央(きら・よしなか / よしひさ)という。もはや読み方すらはっきりとしていない。もうこのさい「よしお」ではどうだ。
 子の名付け方の大事さを歴史に学ぶおしえ。

「く」しんさんたんと……

心惨憺と書くと本当に苦しそう

 苦心惨憺。言葉の意味はいったんおいておき、とりあえず文字の形がつらそうである。もはや絶望的なイメージしかわかない。
 ところが実は「憺」の字は「やすらか」と読み、落ち着いたさまを表している。「惨憺」と書くときに「おそれ・うれい」といった意味が先に立つのだ。憺の字は不当な扱いを受けている。
 転じて、第一印象の大切さをとなえるいましめ。

「け」んだまは……

ん玉はあかぬけていない

 けん玉は剣玉とも書き、段位制度をもち各地で競技会が開かれる隠れた人気スポーツであるが、そういう面とは無関係にあかぬけたイメージがない。この原因はすなわち、「糸でゆわえてある」という根本的なアナログ感に起因する。どんなエクストリームな大技を決めたところで、ふと我に返ったときそこに見えるのはぶらりと垂れ下がった糸である。たしかにこれはあかぬけていない。
 糸ではなく、ワイヤーであれば話は大きく違ったろう。あるいはアラミド繊維であったとしても。しかしその時、けん玉の遊戯性は失われる。
 目先のきらびやかさとひきかえに失ってはならないものもあるというおしえ。

「こ」いきなじょーくは……

粋なジョークは口に出すと小粋ではない

 「ジョーク集」が常に書店の一角を占め続けるように、小粋なジョークには普遍的な魅力がある。しかしそこに載っているジョークを実際に口に出すのはどうか。
 借り物のジョークを言うのは決して小粋なおこないではないし、よしんば独自に考案したジョークであったとしても小粋なジョークを開陳するにはしかるべき場というものがあるはずである。それは少なくとも気やすい友との会話の中でもなければ、ビジネスの席でもましてやR-1の予選会場でもないはずである。
 小粋なジョークは文字の形でこそ輝く。あるいは映画の中でハリウッドスターが口にする時だけに許される。TPOを常にわきまえるべしという教訓。

「あ」んいなきかくも……

易な企画も三度まで

 「あ」から始まり「わ」に終わるこの企画も気付けば3周目である。「50音あれば50回は更新ができる」というきわめて安直な意図で始まった企画もはや3度目である。誰が許さずとも天は許すまい。

 悪がのさばる世の無常をたとえることば。4度目があるかどうかはさだかではない。

「い」たみなくして……

み無くしてSM無し

 痛みこそが人を成長させ、他者への優しさをはぐくみ、あとSMプレイの基礎になる。SMプレイができなくなれば大事であろう。まあ、多分。

 卑近な例を出そうとしてかえってまとまりや実感をうしなう失敗のたとえ。

「う」きうき……

キウキ失恋

 イギリスのバンド「ワム!」の楽曲『ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ(Wake Me Up Before You Go-Go)』は、俗にひどい邦題の例として挙げられることが多いが、そもそも原題が『ウェイク・ミー・アップ・ビフォー・ユー・ゴーゴー』であり、「ゴーゴー」などとウキウキ言っている段階で問題なのである。
 ジョージ・マイケルが軽やかに歌うこの曲は、しかし実のところ知らないうちに恋人の心が離れてしまった男の失恋の歌であって、本来軽やかにゴーゴーと歌っている場合ではない。その意味で、場違いにも「ウキウキ」と付けた邦題は原題の場違いさをうまく表現した名訳とすら言えるだろう。

 第一印象だけで決めつけるあやまちを指すことば。

「え」もんかけは……

もん掛けは右衛門掛けにあらず

 えもん掛けは「衣紋掛」とも書くように、和服をかけておく道具であり、そこに「〜右衛門(えもん)」が入る余地はない。そんなものはダジャレであろう。
 ドラ世代は「えもん」とくればついそっちの「えもん」を想像せずにおれないが、そこにはダジャレの危険がひそむ。それは人として避けねばならない罠である。

 「うっかりダジャレ」をあらかじめ回避する先人のおしえ。

「お」となの……

人のエスカレーターに注意すべし

 若者は大人の階段をのぼる権利をもつ。君がまだシンデレラであれば、それは大人の階段をのぼるものである。

 階段を上らないという選択肢も当然あるが、それも時と場合によりけりであろう。険しい勾配であろうと上らなければならない大人の階段もまた存在する。大人の階段はエスカレーターのように楽にはいかないのだ。
 かと思えば、本人にのぼる気がなくとも勝手にのぼってしまう大人の階段もある。年齢がそうであり、肌年齢もまたそのひとつである。それこそが瞠目すべき大人のエスカレーターである。

 大人のエスカレーターはあってほしい場所にはなく、あって困る道にはある。気を付けねばならない。
 成長の痛みと恐ろしさを説いたことば。

「か」ぎはさんばいざーの……

ギはサンバイザーの中

 車のキーがどこにあるか分からない時、運転席のサンバイザーの裏をさがせばそこに必ずあるというのが常識である。少なくとも洋画で見るかぎりは。
 さらに言えば、もし万が一それでも見当たらない時は、コードをちぎって結線すればエンジンがかかる仕組みに車は作られている。少なくとも洋画で見るかぎりは。

 このようにフィクションをうのみにしてばかりいては適当なことしか言えなくなるというおしえ。

「き」もちいい……

持ちいい略してキモイ

 俗に「気持ち悪い」を略して「キモい」と表現するが、それを言うなら「気持ちいい」を略してもそれはそれで「キモい」になってしまう。正反対の結果を呼んでしまった。
 「燃えるゴミ」略して「燃えゴミ」、しかして「燃えないゴミ」も略して「燃えゴミ」であろう。カテゴリーが近いだけにいよいよ深刻である。
 イケメンは「イケてる」のか「イケてない」のか。セカチューは世界の中心でなにをするのか。略することで失われる情報はたしかに存在する。

 安易な略語に警鐘を鳴らすことば。また、不自然に原語を再現してもやっぱり不自然な意味になることから、意味さえわかっていればそれでいいんじゃないのというおしえ。

「く」らぶはしんがんで……

ラブは心眼で見分けよ

 「クラブ」とだけ書いて、人はそこに何を見出すだろうか。
 クラブ活動もあればクラブパーティーを思い出す者もいよう。ナイトクラブもあればトランプのクラブもある。時には蟹(かに)も英語でクラブである。

 「この間クラブを食べたら……」と言ったとき、それはどんなに嘘っぽくても高確率で蟹の話である。クラブ活動でもナイトクラブでもあるまい。このようにクラブは鋭い目でその正体を見極めねばならない。
 同音異義語と文脈の大切さをおしえることば。

「け」わしいけものみち……

しい獣道でもまだまし

 人生でつらく苦難の多い生き方は、しばしば獣道にたとえられる。
 しかし獣道が険しいと言っても、まだ道があるだけましということもある。
 世には獣も通わぬ魔境もあれば、断崖絶壁を装備なしで登坂することもあろう。くらべれば険しい獣道ははるかにイージーなルートである。

 つらく苦しい時があってもまだ獣道で済むだけ良いということもある。そんな中途半端に美談めいたおしえ。

「こ」んぼうをもった……

棒を持った相手には注意

 あなたの友人や知人、あるいは通りすがりの相手が棍棒を手に近づいてきた場合、それは高い確率であなたの危険の前ぶれである。棍棒には注意しなければならない。

 わざわざ格言にする意味があるのかどうかすら定かでない心がまえ。