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「さ」いごにわらうのは……

後に笑うのは歩くスキーヤー

 俗にスキーといえばアルペンスキーなど山を滑走するスポーツを指し、クロスカントリー・スキーこと「歩くスキー」は忘れられがちである。しかし災害時、あるいは有事にあって真価を発揮するのはどちらか? 歩くスキーであろう。このようにどんな物にも真に必要とされる時はあるとする教訓、あるいは北国の体育の授業で歩くスキーをやらされた者の心のなぐさめ。

「し」ゃしんうつりが……

「写真写りが悪い」と思っているのは本人だけ

 構図やライティングによる見栄えの良し悪しはたしかに実在するが、しかしそれがいま手元にある自分の顔を写したおもしろ写真の免罪符になると思うのは間違いである。「写真写りが悪い」と感じる写真ほど構図やライティングとはまったく異なる、もっと根本的な部分に問題があるものだ。自分をごまかしてはならない。そんな口当たりはともかく意外と真実を突いたことを言った格言。

「す」じょうゆのはっそうの……

醤油の発想のストレートさを見習え

 酢醤油ほどストレートな発想の調味料もなかなかあるまい。味にこだわれば複雑にもなるのだろうが、基本はシンプルである。醤油に酢の味わいを足すから酢醤油。その名前もストレートだ。もし仮に生まれてから一度も酢醤油を味わったことのない者でも、その名を聞けばだいたいの味が想像つくに違いない。これが酢醤油のもつすごみである。人にはまだ酢醤油に学ぶべきところが多い。そんな言い過ぎを含むおしえ。

「せ」んとらる・りーぐを……

ントラル・リーグをセ・リーグと略するのはやはり無理があった

 しばしば忘れられがちであるが、セントラル・リーグ略してセ・リーグである。時にはセントラルリーグ略して「セ」だったりすらする。あまりにも原形をとどめていないのではないか。そして「パ」はパシフィックリーグである。パシフィックを略してパと呼ぶ、そこに無理を感じずにはいられない。
 転じて効率だけを追求する社会や、言語を大事にしない若者文化に警鐘を鳴らすことばと言えば聞こえは良いが、基本的には「『セ・パ』ねえ……」と言いたいだけのことば。

「そ」りこみを……

り込みを入れる時は細心の注意で

 一期一会。一度入れたそり込みは時が経つまでは取り返せないし、待っている間は中途半端な長さで青々として恥ずかしい。左右のバランスをしくじれば大問題である。そりを入れすぎた右に合わせるために左を深くそり込むと、今度は右が浅くなる。くりかえしているうちに、いつしか鬼ゾリである。

 こうした事ととりあえず無関係に、いまこの時代にそり込みを入れるか。そりを入れる前にまずそこをよく考えよ。という時代を詠んだことば。

「た」んばりんは……

ンバリンは持っているだけで場違い感が湧き出る魔法のアイテム

 はたしてこの日本にタンバリンが似合う人間がいるのだろうか。
 無造作にタンバリンを持ってみる。立ち尽くすその手にタンバリン。これでは絵になるまい。
 ではやる気まんまんに腰を落とし眼前にタンバリンを構える。もちろん空いた片手はタンバリンを叩くために正眼のかまえ。やはりこれもおかしい。いくらタンバリン演奏がうまくとも、いやむしろうまければうまいほどそこに漂う場違いな印象。

 タンバリンが持つユーモラスな形状とにぎやかなサウンド、その一方で楽器として必要とされる高度なリズム感とテクニック。この二面性がタンバリンの立ち位置を微妙なものにしている。
 タンバリンの前に人は無力である。誰もタンバリンの場違い感を止めることはできない。そんな偏見を示すことわざ。

「ち」ょうのよみがなは……

「超」の読みがなは「スーパー」

 「超サイヤ人」と書いたとき、それは「スーパーサイヤ人」と読まれる。ここでかんがみるに「超サイヤ人」を他のことば、たとえば「超新星」や「超現実主義」、「超小型処理装置」などと比べると、「超サイヤ人」の方にむしろなじみがあるのが人というものだ。ならば「超」の正しい読みは「ちょう」よりもむしろ「スーパー」と言うべきであろう。そんな鳥山先生への感謝と尊敬の念をあらわしたことば。

「つ」んくには……

んくには数多くの借りがあるのだ、僕らは。

 なんだかんだ言っても我々はつんくに多くの借りがある。今はまだ学生や社会人一年生だったとしても時は流れる。結婚し、子供が産まれ、家を買い、家族に囲まれて団らんの中で、ふとたまたまテレビに映っていた1990年代の懐かしの映像に目をとめる。つんくの笑顔がそこにあった。流れるシャ乱Q、モー娘、ハロプロ。いつの間にかあふれてくる涙。そう、僕らはつんくに数多くの借りがあるのだ。

 転じて、ブームがある程度去った後は、寝かし所が大事になるというおしえ。

「て」んしにからめた……

使にからめたことわざを言っていいのはフランス人だけ

 たとえば俗に、にぎやかな場が不意にシンとする静寂を指して「天使が通りすぎた」という。しかしだからと言って「いま天使が通りすぎたね」と実際に口に出してしまうのはどうだろうか。そんなおしゃれが許される人間がいるものだろうか。向かいの席からコップの水を頭にかけられようと文句は言えまい。周囲から料理を投げつけられてもいたしかたあるまい。天使にからめたことわざは危険である。

 どうしても天使にからめたことわざを言いたくなったら、まず冷静に自分を見直すべきだと示す格言である。自分ははたしてフランス人なのか。フランス人でないのならそっと口を閉じるべきなのだ。

「と」うばんせいは……

番制は休みがちな奴によって崩壊する

 たまたまその日掃除当番が休んでいた。翌日に持ち越すことにしたら、たまたまその次の日にも休んでいたので緊急回避策として次の当番に回すことにした。ではその翌日の掃除当番は誰になるのか。休み明けのあいつか。その翌日は誰だ。もう正しい順番がどうだったのか誰も思い出せない。こうしてささいなきっかけから当番制は崩壊する。そして人はそれをどうすることもできないまま、また当番制を繰り返すのだ。休みがちな人間が何人いようと掃除当番がとどこおりなく決まるシステムが生まれた時、おそらく人類は新たな革新をむかえる。

 それは言い過ぎとしても、とりあえず当番制に代わるシステムは必要なのではないかとする警句。

「さ」むいよるにはまず……

い夜にはまずヒーターから

 寒い夜といえば明日を待ちわびるものと相場が決まっているが、その前にまずヒーターの設定温度を上げることを考えるべきである。あなたの言葉がかけられることを待っている場合ではない。
 環境や節約を考えることも大事だが、健康をなおざりにしてはならない。座して明日を待ちわびるより先になすべきことがあるというおよそ台無しなおしえ。

「し」しゃもをししゃもと……

しゃもを柳葉魚と書くのはわりと正しい

 ししゃも。食卓でおなじみの魚であるが、漢字では「柳葉魚」と書き、いくらシルエットが柳の葉に似ているとはいえこれを一発で「ししゃも」と読むのは困難である。
 しかしシシャモはアイヌ語の「スス・ハム」を語源とし、ススは「柳」、ハムは「葉」の意であるから「柳葉魚」と書いてシシャモと読むのは実はかなり理にかなっている。

 ししゃもを柳葉魚と書くのは無理があると言おうとしたところ、調べてみたら意外にちゃんとした理由があったことにちなみ、何事もまず調べてみるのが肝心だというおしえ。

「す」きゃっとまん・じょんの……

キャットマン・ジョンの偉業を忘れてはならない。スキャットガールのことは各自で考えよう。

 1994年、52歳という遅咲きのデビューを果たしたミュージシャン、スキャットマン・ジョンは自らの吃音症(どもり)をスキャットに変えダンスミュージックと融合させるという斬新な手法で一躍スターダムにのし上がった。
 1999年にあまりにも早い死を迎えたスキャットマン・ジョンだが、音楽活動のかたわら吃音者支援のための基金を設立するなど、社会奉仕にも熱心で吃音者の援助の手を休めることはなかった。一発屋という文脈で語られることもある彼だが、オリジナルのスタイルを定義したユニークな音楽家として、また社会活動家として、彼の業績は大きな輝きを放っている。

 それはそれとして、スキャットマンが大売れしたときにスキャットガールという女性ミュージシャンも売り出されたが、その件については各自で判断すべきである。そんな煮え切らないおしえ。

「ぜ」んじんみとうのおくちへ……

人未到の奥地に踏み込む勇気ある冒険家を、正面から撮るカメラマンの勇気

 前人未到の奥地で、圧倒的な高さを誇る崖で、危険うずまくスラムで、レポーターはしばしば危険と隣り合わせであるが、そういう時えてしてカメラマンはもっと危険なムチャをしがちである。
 奇跡のパラシュート空中ランデブーを奇跡のパラシュート空中撮影し、それでいて表舞台に出ないカメラマンの偉大さは言葉を尽くしても語れるものではない。

 意外にまっとうな話になったものの、結論としてあのレポーターは実はたいしたことをしていないのではないかといううがった見方をも生むことば。

「そ」れんでだじゃれを……

「ソ連」でダジャレを言えた時代

 ソビエト社会主義共和国連邦、通称ソ連が60数年の長い歴史に幕を下ろしてから既に15年余。
 ソ連崩壊が後世のロシア、ひいては国際社会に及ぼした影響は数限りないが、その中でも重大な問題のひとつに「ソ連のかみそりは剃れん」と言えなくなったことが挙げられる。
 「ソれん」というひびきから日本人なら誰もが思いつける入門編のダジャレだが、ソ連が事実上存在しない現在、このダジャレもまた存在が危ぶまれている。

 歴史のはかなさと、そんなダジャレなくなってしまった方が世のためだという苦みをたとえたことば。

「た」んたんのげんめいが……

ンタンの原名が『TINTIN』だという点にあえて触れない勇気

 世界中で有名な児童むけ冒険漫画の金字塔『タンタンの冒険旅行』シリーズでおなじみ、主人公タンタンであるが、冷静にそのスペルを読むと「Tintin」である。
 この恐るべき事実をわれ先に世界に広めたくなる気持ちは人として当然であるが、その前にタンタンはそもそもフランス語が原語であり、フランス語発音では「tin」も「タン」と「テン」の中間のような発音になり決して「ティン」でも「チン」でもないことに注意しなければならない。この点を忘れてうかつに「Tintin」に触れれば、やけどするのはむしろ自分である。

 発見には十分な検証が必要であるとおしえる、学問の心がまえ。

「ち」らりずむという……

ラリズムという言葉を考えた人はたぶん天才

 「チラリズム」とは偶然にチラリと見えるエロチシズムを称した言葉で、ものの本によれば1951年に報知新聞記者が浅香光代の剣劇を指して書いた言葉が広まったものだという。
 若き日の浅香光代にばかり注目がゆくこのエピソードだが、むしろ賞賛されるべきはこの無名の記者である。うまいこと言った感はほどほどに、しかし人間の本能を鋭く突く概念をたった5文字ではじめて形にした記者のセンスは尋常ではない。
 惜しむらくはこの記者が誰なのか、今もって知られていないことである。恥ずかしくて言い出せないのかもしれないけど。

 無名の英雄に尊敬の念を忘れないよういましめることば。

「つ」ぃぎーでも……

ィギーでもツィッギーでも言いにくいことにかわりなし

 60年代に広く愛されたモデル/女優レスリー・ホーンビーこと愛称「ツィギー」は、その美貌やセクシーさはともかくとして名前が言いづらい。
 「ついぎ…ちぎ…つぅい…」と読むものをとまどわせるに十分なその発音から、ローマ字風に「ツィッギー」と表現することも多いが、それにしたって言いにくいのである。むしろ言いにくくなっているかもしれない。
 ときに徒労に終わる努力のむなしさを示すことば。

「て」くまくまやこんが……

クマクマヤコンが「TECHnical MAgiC MY COMpact」の略という説

 一説によれば、アニメ『ひみつのアッコちゃん』で使われる魔法の呪文「テクマクマヤコン」は「TECHnical MAgiC MY COMpact」の略であるという。思わず膝を打ち、そのままトリビアとして心にしまいこみたくなる話であるが、冷静に考え直してみると少なくとも「テクニカル」の部分はおかしい。
 魔法のコンパクトは概して技術的技能を必要とせず、まして科学的産物では決してあるまい。嘘やねつ造でないとしても、この点を抜きにテクマクマヤコンの語源に納得すべきではないだろう。人は何事にも意味を見出したがり、もっともらしい話に思わず飛びついてしまうものだが、むやみに思考停止におちいってはならないとする、これ自体がもっともらしいおしえ。

「と」ろんぼーんのかたちを……

ロンボーンの形を思い出せない

 トロンボーン。たとえば吹奏楽部や音楽科生など、楽器に親しんでいるならその形状を克明に思い出すことも簡単だろう。ましてプロならたやすくて当然である。
 しかし特に金管楽器に興味をもたないまま人生を過ごすと、トロンボーンがどんな形だったか頭に描けないというのもまたありがちな事である。
 どうやってもトランペットの形しか思い出せないならまだしも、思い出したつもりがそれはチューバだったりする。どこをどう間違えたのか、ホルンスーザフォンを想像していたりする。それならまだいい方で、単に楽器だというレベルでコントラバスを脳裏に描く者すらいよう。

 自分の興味のないものはしぜん持つ知識も少なくなるというたとえ。また、それにしたってコントラバスはないだろうという意味で教養の幅を広めるべしといういましめ。

「さ」びだけいい……

ビだけいい曲にもがっかりするな

 世の中、初めて出会う曲を頭から終わりまでフルコーラスで聴くことは意外にないものだ。
 CMや有線、ラジオでたまたま聴くともなしに聞いた曲がとても良い曲だったとする。しかし購入したりレンタルしたりフルコーラスで聴いてみると、思いのほかAメロBメロが退屈だったり不自然に長かったり、間奏と前奏だけで曲の8割方を占めていたり、想像もしなかったようなラップパートが入っていたりするものである。

 何事もふたを開けてみるまではわからないものだという心がまえ。

「し」きがうつろうように……

季がうつろうように職を変える

 四季は日本の心である。花鳥風月を愛し風流を知るすがたがそこにはある。
 そこで、職を転々とするさまを四季の変化にたとえてみると割といい雰囲気になることに気付く。

 職業が安定しないことをうまく言いかえる表現。転じて、言葉をかざること。

「す」ぴーどにみいられたのは……

ピードに魅入られたのは受動態

 慣用句のように「スピードに魅入られた」という表現が使われるが、「スピードに夢中になった」という意味で使うのは厳密には誤りになる。
 「死に魅入られた」という表現が「死(死神)に目を付けられた」、という意味で使われるように、スピードもまた「スピード(という魔物)に魅入られた」という意味である。魅入るのはスピードの方であって、スピードを出す方ではない。

 だがその視点で見れば、魅入られたことにされた人にとってはある意味言いがかりである。自分の自由な判断でスピードに夢中になったはずなのに、気がつけば原因がスピードに魅入られたせいになっている。だいたい自分に魅入っているというスピードって誰だ。再結成したアイドルグループか。
 ロマンチックな表現はおおむねロマンチックであるがゆえに現実を映さない。いたずらに表現を飾ることをいましめることば。

「セ」ルライトは……

ルライトはセルゲーム的なものではない

 「セルゲーム」とは漫画『ドラゴンボール』で悪役セルが開催した武闘会を模したゲームの名であるが、もちろん「セルライト」はそんな類のものではない。人造人間セルとは特にかかわりなく美容のジャンルで用いられる皮下脂肪の一分類であり、付け加えるなら販売中でもないし、光ったりもしない。
 唯一共通するのは「セル」の語源が「細胞 (cell)」なことであるが、それを言えば「セル画」ですら語源を順にたどればやはり「細胞 (cell)」にたどり着く。だからといってセル画がセルゲーム的なものであろうはずもない。セルゲーム的な意味でのセル画というものの想像がそもそもつかない。

 安易に言葉のひびきを追うことへの警句。また、調べてみると意外に細胞を語源にした言葉が多いという意味。

「ソ」ロデビューした……

ロデビューした段階で解散を覚悟

 バンド、ユニット、グループ。それらの中である日突然起きるのがソロデビューである。バンドはバンド、ソロはソロとしてこれからも続けていくとは言うが、しばしばそういう時はそれぞれの個性を伸ばそうとしている頃である。音楽性の違いを意識している頃である。自分が本当にやりたい音楽が何なのかを考えている頃であり、バンドではできない方向性を自分なりに模索したい頃であり、メンバー間の不仲説が浮上している頃である。
 誰かがバンドからソロデビューした時点で、そのバンドのファンならばいざという時のために、解散を覚悟しておく慎重さが必要である。
(類)転ばぬ先の杖

「タ」ンゴがすべて……

ンゴがすべて情熱的とは限らない

 「情熱のタンゴ」とはよく言うが、だからといってタンゴ曲すべてが情熱的であるという事にはならない。
 童謡として知られる『黒猫のタンゴ』があり『だんご3兄弟』がある。広く歌い継がれる曲であっても、よもや『だんご3兄弟』は情熱とは関係あるまい。
 激しい愛と情熱を込めて『だんご3兄弟』を歌いあげ踊り狂うのも、それはそれで問題である。

 ステレオタイプなイメージにとらわれてはならないとする教訓。

「チ」ョークスリーパーは……

ョークスリーパーはしばしばシャレですまない

 チョークスリーパー(裸締め、スリーパーホールド)は格闘技における絞め技で、おおざっぱに言えば相手のノドを締める技全般を指す。
 絞め技としては比較的動作が単純なことから、プロレスごっこなどの遊びで軽いタッチで使われることも多いが、冷静に考えて気管や頸動脈を締めているので危険としか言いようがない。実際に鬱血して気絶に至るケースもある。

 チョークスリーパーはシャレですむ類の技ではない。良い子のみんなはマネしちゃだめだよ、という警句。

「つ」かじにだって……

地似だっていいじゃないか にんげんだもの

 ブサイクの代表例のようなあつかいを受けている塚地武雅(タレント)だって生きているのである。同じ人間である。名前の読みは「むが」である。

 多少のブサイクでも悲観することはないというおしえであり、そして有名なことばの剽窃。

「て」きのてきなのに……

の敵なのに敵

 「敵の敵は味方」という言葉があるように、敵Aと敵対する自分、そしておなじく敵Aと敵対する勢力B、このとき自分とBの間には共通の利害関係が生まれ両者は味方になりえる。
 しかし、敵Aと敵対しているそのBすら自分と敵対しているとしたらどうだろう。前門の敵A、後門の敵B。もはや孤立無援でありどっちかといえば「敵の敵は味方」という言葉の「敵の敵」とは自分のことである。

 味方のいない状況のたとえ。また、味方を作っておくことの大事さをつたえるいましめ。

「と」りあえずから……

「とりあえず」から始まる恋もある

 キスから始まる恋があるように、「とりあえず」から始まる恋もある。
 アリかナシかでいえばアリ。アリかナシかでいえば、まあアリと言えなくもない。そんな妥協の産物としての恋模様。周囲に比較対象がない。周囲の比較対象が並外れている。そんな状況に後押しされての恋模様。

 恋は盲目という通り果たして「とりあえず」から始まった恋でも意外にその最中はなんとかなったりするものだが、その恋に終わりが来たときを考えておく必要はあろう。ああ、そういえば「とりあえず」で始まった恋だった……そこに気付いたとき、楽しかった日々の思い出すらたちまち色あせよう。
 恋したいお年頃は時として魔物を生む。無軌道な青春の暴走をいましめる警句。